老いることの積極的な価値を見出したい。それが無ければ、老い=悪、老人=役立たずということになる。
例えば、敏感さがエゴの強さと結びつけば、自意識過剰となり、苦しむ。軽くボケて、鈍感になれば、楽になる。鈍感力。
お金を使わないというコンセプトと加齢。加齢により食欲が落ちれば食費が安く済む。出不精になれば交通費がかからずに済む。とか。
アンチエイジングというのは、若いほうがいいという考えの奴隷になっている。それで消費を煽られている面もある。
基本的には加齢に伴い、外部からくる刺激より、心の在り方を重視して楽しむという方向に行くのがいいと思う。若いころは盆栽のような微妙な・かすかな感覚を楽しめないが、老いれば楽しめるというような。
より少なく消費し、より少なく賃労働する。お金にあまり依存せずに生活し、自由時間を楽しむ。暇と貧乏の良さに共感する人と話してみたい。低コストな生活、お金のかからない自由時間の過ごし方、楽な短時間パートの情報、しょぼい起業などについて。
2015年6月22日月曜日
2015年6月10日水曜日
なぜ世間並に働いていないと恥ずかしいのか
なぜ世間並に働いていないと恥ずかしいのか。一つは、社会的インフラを使っているが税金を払っていないといううしろめたさがあるだろう。しかし、それも実感がわかない。それより、世間的な週5で働いていないといけないという常識に無自覚にとらわれているという感じがする。
そもそも社会的に働くとは、分業すること。自給するより分業する方を選ぶ・選ばなければいけない場合において。その根本のレベルから考えていると、「世間並」という気持ちは相対化され、軽くなる気がする。
現役世代でも、あまり働いていないことを公言し、そういう生活について本まで書いている人もいる。そういう人を見ると、恥ずかしがっている自分は何なのか、という気がする。
そもそも社会的に働くとは、分業すること。自給するより分業する方を選ぶ・選ばなければいけない場合において。その根本のレベルから考えていると、「世間並」という気持ちは相対化され、軽くなる気がする。
現役世代でも、あまり働いていないことを公言し、そういう生活について本まで書いている人もいる。そういう人を見ると、恥ずかしがっている自分は何なのか、という気がする。
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